2009年 09月 10日
信濃路2
これは帰り道に寄った、「海野宿」 です。
観光協会のHPより抜粋
「海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。
寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。
明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。
海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています」
という事で。うだつや海野格子など結構見ごたえのある宿場です。



この日は平日という事で閑散としていましたのでより昔の風情を偲ぶことができました。
途中で小舞かきの塗壁の補修現場を発見。いまでも伝統技術が生きていました。
なんかホッとしますね。
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「海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。
寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。
明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。
海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています」
という事で。うだつや海野格子など結構見ごたえのある宿場です。



この日は平日という事で閑散としていましたのでより昔の風情を偲ぶことができました。
途中で小舞かきの塗壁の補修現場を発見。いまでも伝統技術が生きていました。
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by fukudamineo
| 2009-09-10 08:31
| 旅
|
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